2017年6月17日土曜日

子供にさせたい経験

子供に経験させたいことってなんでしょうか。

最近考えるのは、とらわれない強さを持つようになってほしいなということです。

常識を疑え、今までの自分の殻を破る、大局観を持つ、など、色々言われますが、なかなか難しい。

例えば私の場合、日本では関西に20年、東京に10年、その他の複数の都市に合計2年程度、アメリカではニューヨークに4年、イリノイに2年半、そして香港に2年住んでます(年がバレちゃいますね、、)。旅行では、いわゆる5大陸全部に行ったことがありますし、3週間以上の旅行も、10回程度はしています。

また、食事も別に数ヶ月間一度も日本食を食べないとかでも大丈夫ですし、それぞれの土地の文化にも適宜馴染めるし、英語での日常生活もどうにかこなせます。

でも、やっぱり日本人だし、日本的な考えに支配されてます。自分の育った価値観に良くも悪くもひっぱられます。結婚するなら日本人と自然に考えますし、日本語(特に関西弁)で話すほうが率直に自分を伝えられる気もします。子供が日本文化に馴染むとうれしいですし、日本的な教育の結果も求めてしまいます。

他の国で働くという場合、日本とアメリカは考えますが、例えば、中東やヨーロッパ、アフリカとなると、遠い感じになります。どうやったら関西が関東に勝てるか、日本が世界で勝つには、とか常に考えてしまいます。

で、そういうこだわりというかバイアスというのは、全部結局のところ、論理的な正解香rずれてくることに伴うコスト(お金という意味ももちろんありますが、時間とか労力とかバイアスがなければ必要ない全てという程度の意味です)になるのではないかと思います。日本人が客を呼ぶ際も、イスラム教の食事を準備したり、ユダヤのコーシャー料理、ベジタリアン料理、アレルギー対策、好き嫌い対策というのをしないといけないとしたら、その分コストがかかるというのはお分かりいただけるかと思います。同じように、結婚相手でも世界にこれだけ人がいるのに、日本人から選ぶ、というのは難易度の高い作業をすることになります。また、世界に投資するとか、世界で就職するという際も、日本だけ考えるのか、その他にも選択肢が豊富にあるのかというのは、大いに結果に影響します。

僕らの若い頃は、日本が飛ぶ鳥を落とす勢いだったので、ある意味幸せでした。日本とそれ以外とを考える際も。今思い出しても、アメリカに大学に行ったときにはっきり比べてみましたが、日本でやっていくのも全然問題ないな、むしろ英語のハンデを背負うのはマイナスではないか、ということで日本で勝負するという選択を考えたほどです。

でも、全てを日本語にして、日本で賄うというのは、結局コストが高いんですよね。数十年から数百年勝てるとしても、永続的に勝てるほどのコストを上回るなにかというのを示す(例えば民族の習慣とか)というのは、今の世の中では難しいのかなと思っています。特に日本について、今後数十年を考えた際に。

そういう観点からは、いろんな土地に住んだことがある、選択肢が多いというのはとても大切なのかなと思います。

こういう観点から、来年か再来年、娘をヨーロッパのサマークラスにでも送れないかなと漠然と考え始めました。

また考えは変わるんでしょうけど。















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