1.子供の語学教育について
海外に暮らすと子供の英語教育・日本語教育について考えさせられることは多いです。英語は必要なのか、日本語は必要なのか、両方やらせる意味はあるのか、他の言語はどうするのかなど、悩みは尽きません。
どの程度やらせるのかについては、親のもつ語学能力と子供の能力も大いに関係すると思います。親が英語をネイティブとして話せないのに、英語を家に蔓延させることについての批判も尤もだと思います。実際、豊富な言葉で話しかけられた子供は子供の頃から豊富な語彙で話すように思います。一方で、アメリカでの移民二世をみるに、親から学ぶ語学が限定されていて、結局は家庭以外の環境が大きいのかなと思ってみたりもします。自分を振り返っても、表現の豊かさというのは親から直接学んだという印象は薄く、しゃべり口調も論調も親と同じと感じることはほとんどありません。
子供の能力という点では、そもそも2言語やるのが苦痛というのは大いにわかります。私自身学校で英語をやるのはすごく嫌いで、成績もすごく悪かったです。小さい子供の個性の差は大きいです。1つだけの言語でやっている子供のほうがその言語の語彙が多いような気にもなったり、両方をずば抜けている子を見て、どのように接したらあのようになるのか唸ってみたり。
一方で、特にヨーロッパ語圏出身の親で複数言語喋る人というのは、当然のように子供にもバイリンガル教育をしています。なので、まぁ、なんとかやれるのかなぁと思ってみたりも。
私の解決としては、子供のやる言語の1,2年先を自分が歩み続けるというのを考えています。英語については、チャプターブックなど読むようにし、少しでも学校関係の語彙を増やすようにしていました。また、今般北京語もはじめており、まだ、全然時間も取れないのですが、少しづつやっていければと思っています。
2.インターネットによる英語の優位性
私の小さい頃に比べインターネットがあるというのはとても大きいと思います。習った時に、先生の言っていることに納得がいかないというのはよくある話ですが、その際にちょっと異なる角度からの説明というのを簡単に見つけることができるというのはとても大きなことと思います。
もちろん、一般に言われるように、音源や、アプリ、スカイプなどのビデオチャットと言う意味でも大きいと思いますが、何より大きな違いは、この検索能力と思います。先生による当たり外れを自分で修正することができるこの検索能力はとても大きなもので、このインターネットの情報ベースがない世界というのは、もはや考えられないと思います。
そして、インターネットは、創世記より英語がメインで使われており、生活言語としては多言語も大いに生き残っていくと思いますが、有意な塊としての情報という意味では、英語での検索、英語での情報習得・発信が不可欠になってくると思われます。
歴史を紐解けばこれは決して例外的なことではなく、ヨーロッパではラテン語が、アジアでは日本も含め漢語が、長らく公用言語として使われてきています。
現在の風潮をみるに、プログラム言語と英語の親和性、アメリカの経済的政治的影響力、ビジネスにおける英語の汎用性、といった観点から、当分の間、影響力のある発言をしたいと思った場合、英語で行った方がダントツ有利ですし、情報を探すのもまず英語でというのが、合理的な選択となると思います。
インターネット創世記には、中心を作る必要がなくなり、これからは地方の時代と言われました。一方で、現実的には、世界的に見ても、先進国の中では中間管理職的な存在となっていた地方が没落し、中央とその他に分化していきました。日本では銀行はじめ、巨大な企業の殆どが東京に本社を持つようになりました。
同じことが言語でも起こっていると思います。日本の書籍文化は素晴らしいと思います。大書店に行くと、アメリカよりもよっぽど品揃えが充実していますし、ラインナップも偏っていない。世界に冠たるものだと思います。また、日常用語から、ビジネス、専門の研究まで、ほとんどすべてを日本語だけで補える点も、世界で数少ない、すごく充実した応用範囲のある言語だと思います。ただ、それでも、書籍の没落は止まらないでしょうし、日本語の垣根の低下も止まらないと思います。日本自体が成長基調であれば、まだ、世界が日本に合わせるというのも考えられますが、現状ではちょっとそれは考えにくいです。
ちなみに、中国語がメインになるとも思っていません。スペイン語などと同じく、巨大な日常用語としてしゃべる層を残しながらも、グローバル言語になることはないと思います。世界中で、英語で特に不満が噴出しているわけではありませんし、中国のエリートで英語ができないという人は今でもほとんどいませんし、今後はもっと減っていくと思われるからです。ネイティブ並の英語での議論ができる中国人というのは、特に珍しい存在ではないと思いますので、中国語を世界に広める労力を中国が本気で払うとは思えません。
なので、インターネットが普及すればするほど、世界の人が教育を受ければ受ける(これはそのような世の中になってほしいと思いますし、なっていっていると思います)ほど、英語が強くなると思います。
なので、他の言語の必要性とは一段異なるレベルで英語は必須だと思います。英語を勉強するのではなく、英語で考え、英語で調べ、英語で発表できる能力が必要なのだと思います。
英語のいいところは、アルファベットだけを使って表現するので、自分で読み書き、調べ物をするというレベルまで比較的幼少時に達することができます。したがって、最終的に日本語メインに育てる場合でも、小学校2年生程度まで英語中心で育てていれば、その後このスキルを子供が自分で鍛えることも無理ではないように思います。
日本は効率性を追求するのが得意なので、ぜひ小学校での英語教育を導入の暁には、全国民がこのレベルまで到達していただければと思っています。
3.教育プログラムの違い
他国の教育プログラムに触れると、日本の教育プログラムとの違いというのは、否応なく考えざるをえません。日本の教育システムは素晴らしいと思います。効率的にものを教える、落第なく上まで育て上げるという点において、なかなかこれに比肩する制度を世界に見つけるのは難しいと思います。
ただ、よくある批判ですが、落第者を作らない、画一的な考えを推奨するという点において、労働者養成用のシステムが発達したものであるのかなという印象もまた拭えません。
アメリカの教育をみると、発表、議論というところに重点をおいているように思います。良し悪しで、悪い影響も多々あると思いますが、より、強い日本人を作っていくと言う観点からは、英語で生で議論できて、しかも、言い負かされない、有用な解決を提案できるというのは、大変重要なことと思います。
日本人の場合、帰国子女でも、現地で、発表や議論において、クラスで1,2番を争うようになる人は、算数で1,2番を争う人に比べて格段に少ないと思います。単に現地の教育に放り込めばいいというものでないことは明らかで、この点は、日本語で教育する場合も意識して行っていく必要があると思います。
考える事の重要性というのは、日本で大事にされていると思います。ただ、発表しない考えはないに等しいというのが、国際社会特に批判にさらされる立場となる場合の国際社会における相手方の考え方です。ある程度日本でもこの考えが徹底される環境づくりが学校において必要になると思います。
また、知識、答えを当問題だけではなく、理屈を持って、かつ、迫力を持って相手に迫るという練習が必要と思います。現状算数の文章題で、解き方を示すというのはそれに類するものと思いますが、置かれているウェイトは必ずしも重くないです。
もっと、文章で説得的に説明する方法というのを教えてもいいと思います。自分で発見するのを待つというのもひとつの方法と思いますが、他のスキルと一緒で、教えてしまうのが早いと思いますので。
こういったプログラム、日本の学校でも提供できると思うのですが、今のところあまり聞きません。
海外の学校は学校によってやり方が全く異なるので、こういったいいところを子供の教育に取り入れたいと思う場合は、やはり海外の教育も考えざるをえないように思います。特に海外在住の場合。
3.バイリンガル教育の怖さ
バイリンガル教育をすれば、世界で活躍するエリートになれる、というのはいささか短絡的な気もします。バイリンガルのレベルも千差万別ですし、それこそ通訳や、秘書業務の方のバイリンガルレベルはものすごく高いです。
でも、一般的に世界で活躍と言う場合は、こういったサポート業務ではなく、主体的な活動をする業務を念頭に置いていることが多いと思います。そういった業務は、必ずしもバイリンガルレベルが高い人がなっているわけでもないというのも現実問題としてあると思います。
なので、語学はあくまで一スキルで、本当に学ばなければならないものは、他にたくさんあるのだと思います。世界の高学歴の人という層とある程度接したことがありますが、皆、どの言語で教育を受けていても、ある程度の教育・教養は共有しているように思います。バイリンガルに夢中になるあまり、この点が見過ごされるのであれば、それはとてもこわいことと思います。
4.バイリンガル教育の限界
バイリンガル教育をしてみたところで、文化的な背景とか、社会を2つ同時に経験するのは大変な労力が必要です。よほど本人が努力をすると言う場合をのぞいて、どちらか一方、もしかするといずれにもうまく属することができないという状況になりえます。
なので、この点でも、「バイリンガルになった、英語が話せる、イコール外人と一緒」と考えるのは短絡的なのだと思います。
本当にどちらかの文化の一員となっていくためには、やはり成長過程のいい時期にいい場所にいる必要があります。特に重要なのが、十代後半かと思います。
5.日本経済が成長していないこと
最後に、大変残念なのですが、日本経済および日本の給与は、残りの世界と比べると、この20−30年成長していません。今後成長すればいいですが、現状でも、日本の平均給与程度は、きちんと教育を受けてきちんと狙いを定めれば、ヨーロッパ・アメリカ・アジアの殆どの国で稼ぐことが可能です。アジアのほとんどの国が加わっているのは、私が就職を念頭に置いていた20年前では考えられないことです。
現状、これらの国のすべてで重宝されるのが、ネイティブ並に使える英語力です。特にアジアの現状を考えると、日本に対するヘッジという意味でも、家庭では、英語教育は欠かせないと思います。
国の栄枯盛衰は世の常です。大国と呼ばれた国が、なくなっている例、大国でなくなっている例は枚挙にいとまがありません。ただ、それに家族が巻き込まれないようにするのは親の責任ではないかなと思っています。
海外に暮らすと子供の英語教育・日本語教育について考えさせられることは多いです。英語は必要なのか、日本語は必要なのか、両方やらせる意味はあるのか、他の言語はどうするのかなど、悩みは尽きません。
どの程度やらせるのかについては、親のもつ語学能力と子供の能力も大いに関係すると思います。親が英語をネイティブとして話せないのに、英語を家に蔓延させることについての批判も尤もだと思います。実際、豊富な言葉で話しかけられた子供は子供の頃から豊富な語彙で話すように思います。一方で、アメリカでの移民二世をみるに、親から学ぶ語学が限定されていて、結局は家庭以外の環境が大きいのかなと思ってみたりもします。自分を振り返っても、表現の豊かさというのは親から直接学んだという印象は薄く、しゃべり口調も論調も親と同じと感じることはほとんどありません。
子供の能力という点では、そもそも2言語やるのが苦痛というのは大いにわかります。私自身学校で英語をやるのはすごく嫌いで、成績もすごく悪かったです。小さい子供の個性の差は大きいです。1つだけの言語でやっている子供のほうがその言語の語彙が多いような気にもなったり、両方をずば抜けている子を見て、どのように接したらあのようになるのか唸ってみたり。
一方で、特にヨーロッパ語圏出身の親で複数言語喋る人というのは、当然のように子供にもバイリンガル教育をしています。なので、まぁ、なんとかやれるのかなぁと思ってみたりも。
私の解決としては、子供のやる言語の1,2年先を自分が歩み続けるというのを考えています。英語については、チャプターブックなど読むようにし、少しでも学校関係の語彙を増やすようにしていました。また、今般北京語もはじめており、まだ、全然時間も取れないのですが、少しづつやっていければと思っています。
2.インターネットによる英語の優位性
私の小さい頃に比べインターネットがあるというのはとても大きいと思います。習った時に、先生の言っていることに納得がいかないというのはよくある話ですが、その際にちょっと異なる角度からの説明というのを簡単に見つけることができるというのはとても大きなことと思います。
もちろん、一般に言われるように、音源や、アプリ、スカイプなどのビデオチャットと言う意味でも大きいと思いますが、何より大きな違いは、この検索能力と思います。先生による当たり外れを自分で修正することができるこの検索能力はとても大きなもので、このインターネットの情報ベースがない世界というのは、もはや考えられないと思います。
そして、インターネットは、創世記より英語がメインで使われており、生活言語としては多言語も大いに生き残っていくと思いますが、有意な塊としての情報という意味では、英語での検索、英語での情報習得・発信が不可欠になってくると思われます。
歴史を紐解けばこれは決して例外的なことではなく、ヨーロッパではラテン語が、アジアでは日本も含め漢語が、長らく公用言語として使われてきています。
現在の風潮をみるに、プログラム言語と英語の親和性、アメリカの経済的政治的影響力、ビジネスにおける英語の汎用性、といった観点から、当分の間、影響力のある発言をしたいと思った場合、英語で行った方がダントツ有利ですし、情報を探すのもまず英語でというのが、合理的な選択となると思います。
インターネット創世記には、中心を作る必要がなくなり、これからは地方の時代と言われました。一方で、現実的には、世界的に見ても、先進国の中では中間管理職的な存在となっていた地方が没落し、中央とその他に分化していきました。日本では銀行はじめ、巨大な企業の殆どが東京に本社を持つようになりました。
同じことが言語でも起こっていると思います。日本の書籍文化は素晴らしいと思います。大書店に行くと、アメリカよりもよっぽど品揃えが充実していますし、ラインナップも偏っていない。世界に冠たるものだと思います。また、日常用語から、ビジネス、専門の研究まで、ほとんどすべてを日本語だけで補える点も、世界で数少ない、すごく充実した応用範囲のある言語だと思います。ただ、それでも、書籍の没落は止まらないでしょうし、日本語の垣根の低下も止まらないと思います。日本自体が成長基調であれば、まだ、世界が日本に合わせるというのも考えられますが、現状ではちょっとそれは考えにくいです。
ちなみに、中国語がメインになるとも思っていません。スペイン語などと同じく、巨大な日常用語としてしゃべる層を残しながらも、グローバル言語になることはないと思います。世界中で、英語で特に不満が噴出しているわけではありませんし、中国のエリートで英語ができないという人は今でもほとんどいませんし、今後はもっと減っていくと思われるからです。ネイティブ並の英語での議論ができる中国人というのは、特に珍しい存在ではないと思いますので、中国語を世界に広める労力を中国が本気で払うとは思えません。
なので、インターネットが普及すればするほど、世界の人が教育を受ければ受ける(これはそのような世の中になってほしいと思いますし、なっていっていると思います)ほど、英語が強くなると思います。
なので、他の言語の必要性とは一段異なるレベルで英語は必須だと思います。英語を勉強するのではなく、英語で考え、英語で調べ、英語で発表できる能力が必要なのだと思います。
英語のいいところは、アルファベットだけを使って表現するので、自分で読み書き、調べ物をするというレベルまで比較的幼少時に達することができます。したがって、最終的に日本語メインに育てる場合でも、小学校2年生程度まで英語中心で育てていれば、その後このスキルを子供が自分で鍛えることも無理ではないように思います。
日本は効率性を追求するのが得意なので、ぜひ小学校での英語教育を導入の暁には、全国民がこのレベルまで到達していただければと思っています。
3.教育プログラムの違い
他国の教育プログラムに触れると、日本の教育プログラムとの違いというのは、否応なく考えざるをえません。日本の教育システムは素晴らしいと思います。効率的にものを教える、落第なく上まで育て上げるという点において、なかなかこれに比肩する制度を世界に見つけるのは難しいと思います。
ただ、よくある批判ですが、落第者を作らない、画一的な考えを推奨するという点において、労働者養成用のシステムが発達したものであるのかなという印象もまた拭えません。
アメリカの教育をみると、発表、議論というところに重点をおいているように思います。良し悪しで、悪い影響も多々あると思いますが、より、強い日本人を作っていくと言う観点からは、英語で生で議論できて、しかも、言い負かされない、有用な解決を提案できるというのは、大変重要なことと思います。
日本人の場合、帰国子女でも、現地で、発表や議論において、クラスで1,2番を争うようになる人は、算数で1,2番を争う人に比べて格段に少ないと思います。単に現地の教育に放り込めばいいというものでないことは明らかで、この点は、日本語で教育する場合も意識して行っていく必要があると思います。
考える事の重要性というのは、日本で大事にされていると思います。ただ、発表しない考えはないに等しいというのが、国際社会特に批判にさらされる立場となる場合の国際社会における相手方の考え方です。ある程度日本でもこの考えが徹底される環境づくりが学校において必要になると思います。
また、知識、答えを当問題だけではなく、理屈を持って、かつ、迫力を持って相手に迫るという練習が必要と思います。現状算数の文章題で、解き方を示すというのはそれに類するものと思いますが、置かれているウェイトは必ずしも重くないです。
もっと、文章で説得的に説明する方法というのを教えてもいいと思います。自分で発見するのを待つというのもひとつの方法と思いますが、他のスキルと一緒で、教えてしまうのが早いと思いますので。
こういったプログラム、日本の学校でも提供できると思うのですが、今のところあまり聞きません。
海外の学校は学校によってやり方が全く異なるので、こういったいいところを子供の教育に取り入れたいと思う場合は、やはり海外の教育も考えざるをえないように思います。特に海外在住の場合。
3.バイリンガル教育の怖さ
バイリンガル教育をすれば、世界で活躍するエリートになれる、というのはいささか短絡的な気もします。バイリンガルのレベルも千差万別ですし、それこそ通訳や、秘書業務の方のバイリンガルレベルはものすごく高いです。
でも、一般的に世界で活躍と言う場合は、こういったサポート業務ではなく、主体的な活動をする業務を念頭に置いていることが多いと思います。そういった業務は、必ずしもバイリンガルレベルが高い人がなっているわけでもないというのも現実問題としてあると思います。
なので、語学はあくまで一スキルで、本当に学ばなければならないものは、他にたくさんあるのだと思います。世界の高学歴の人という層とある程度接したことがありますが、皆、どの言語で教育を受けていても、ある程度の教育・教養は共有しているように思います。バイリンガルに夢中になるあまり、この点が見過ごされるのであれば、それはとてもこわいことと思います。
4.バイリンガル教育の限界
バイリンガル教育をしてみたところで、文化的な背景とか、社会を2つ同時に経験するのは大変な労力が必要です。よほど本人が努力をすると言う場合をのぞいて、どちらか一方、もしかするといずれにもうまく属することができないという状況になりえます。
なので、この点でも、「バイリンガルになった、英語が話せる、イコール外人と一緒」と考えるのは短絡的なのだと思います。
本当にどちらかの文化の一員となっていくためには、やはり成長過程のいい時期にいい場所にいる必要があります。特に重要なのが、十代後半かと思います。
5.日本経済が成長していないこと
最後に、大変残念なのですが、日本経済および日本の給与は、残りの世界と比べると、この20−30年成長していません。今後成長すればいいですが、現状でも、日本の平均給与程度は、きちんと教育を受けてきちんと狙いを定めれば、ヨーロッパ・アメリカ・アジアの殆どの国で稼ぐことが可能です。アジアのほとんどの国が加わっているのは、私が就職を念頭に置いていた20年前では考えられないことです。
現状、これらの国のすべてで重宝されるのが、ネイティブ並に使える英語力です。特にアジアの現状を考えると、日本に対するヘッジという意味でも、家庭では、英語教育は欠かせないと思います。
国の栄枯盛衰は世の常です。大国と呼ばれた国が、なくなっている例、大国でなくなっている例は枚挙にいとまがありません。ただ、それに家族が巻き込まれないようにするのは親の責任ではないかなと思っています。
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