2015年8月25日火曜日

社会保険

会社員に対する強制的な社会保険料、どこまで必要なのでしょうか。これらの本質は金融商品であるので、国民にとって本当に商品なのか、金融商品に求められるべきことを中心に考えてみました。

社会保険には、厚生年金、健康保険、雇用保険などが含まれています。あると有用なものばかりだとは思いますし、必要があったから発展してきたのだと思います。ただ、今の時代にあっているのかといわれると疑問な気がします。その中身の制度設計も、国民に説明し、判断を求めるという形になっていないことも。

現在、社会保険費は、18%に迫ろうとしています。現代では、100年前とは大きく異なり、ほとんどの人が高校を卒業し、大学を卒業するようになりました。そのような環境の中でまで、国が手取り足取り、家計の設計をしていく必要があるのでしょうか。国が設計したほうがよほどいいものが出来て、効率的であるというのならともかく、民間に任せるのとさほど変わらないのであれば、むしろ民間に任せたほうがうまくいくのではないでしょうか。

 確かに国が各金融機関に与えているフィーというのは、民間で行った場合に比べてはるかに少ないと思います。その点、効率性は高いと思います。ただ、その運用手法は必ずしも、近時の金融手法を反映しているとはいえないのではないでしょうか。現在ではかなりいろいろな金融商品が消費者に提供されており、あとから振り返るに、結果的にそれらの商品のほうが有用であったという状況は十分に考えられます。

 厚生年金

厚生年金は、特に平均寿命が延びた現在、要は、自分の老後の蓄えです。会社負担分を加えるともとをとるのに給付を受け始めてから約20年かかるといわれています。この元を取るというのは、その他の運用に回した際の運用利回りが0であり、物価上昇が0であることを前提にしています。いずれも0ではないので、実際に、正味元がとれたという状態に持っていく(超長生きする)のは至難の技です。

しかも、現状では、300ヶ月収めないと、一切もらえません。働き方がさまざまになっていて、雇用形態も多様化しています。また、海外にチャンスを求める必要性もどんどん強まっています(低成長下での円安が続けば余計に)。同一企業で労働者として働き続ける人がどんどん減っている状況で、この300ヶ月(予定通り、制度改正で120ヶ月に減らされたとしても)のハードルは大変大きいと思います。

月々支払いがあり、何十年かごに払ってくれる約束で、元が取れるかわからず、300ヶ月払わないと、それまでの支払い金が没収という金融商品、ほしいですか?

このような商品を強制的に国民に買わせている制度というのが、まともな制度とは到底思われません。国民が本来得られるべきであった富を費消してしまっているだけではないのかなと思います。 これに関与している公務員の給料、金融機関に支払っている費用というのは、無駄な負担ではないかと思われてなりません。

制度論的には、同じ税金優遇がある日本版401k(確定給付年金)を商品も含めて拡充していくほうがよっぽど納得感があると思います。アメリカの401kが年間500万-600万円程度利用できている従業員は大量にいます。日本の上限が40万円程度なので、こちらに寄せていくというのは十分にありえる方策かと思います。

なお、厚生年金負担額にかかる税金が控除されているというのはありますが、年金受領時には税金がかかります。年金負担時の税額は、累進課税になっているので、高額所得者ほど、税引き後の運用効率は良くなります。上記計算では、税金を考慮に入れていません。

また、これらの議論において、厚生年金の会社負担分は、考えない、国民に見せない、考えさせないという議論が散見されます。年金定期便ですら、納付額には、会社負担分を含めていません。

論外です。金融商品の中身を偽る行為です。お金を預かり運用していく業者には、通常、プロとしての業者の義務に加え、英米法の信託に起因する信認義務まで負います。つまり、すべて、お金の預け元の利益のために行動しなければならないのです。中身を偽ったり、誤解させるような表示は、民間の信託であれば、役所にこっぴどく怒られるところです。

経済的に見ても、会社経営者、会社の視点からすると、個人にかかるコストという点で、年金で負担するか、 給料として与えるかというのは、大差ないわけです。なので、それは当然に給与でもらったほうが個人の自由度が高まりますし、国際的な転職をし、別の制度の適用を受ける際にも、元の給料が高いというのは、大いなる交渉材料となります。これが失われているのは当然にマイナスに考慮すべきです。


健康保険

健康保険についても、個人負担で、入りたい保険に入るということで何がいけないのでしょうか。アメリカの高額医療を体験した後では、日本の医療費・薬品代はとても安く感じます。保険がなくても十分に支払えるほどに。

現在、源泉徴収に記載されている健康保険代は、ものすごく高額です。ご覧になると驚かれると思います。これを医療費に充てるとすれば、すべて全額でも当然ぜんぜんやっていける額です。特に高額医療費の還付制度もある現在では、なおさら負担が少なく感じられます。無論保険は存する多数と得をする本当に困っている少数をつなぐという金融商品ですので、それ自体は多数派にとって当然の結論と思います。

ただ、これも、自分の意思に反して、強制的に買わせられている金融商品であるという点に大きな問題点があります。自己負担の割合の調整も出来ませんし、自動車保険のように、保険を使わないという選択肢をして、将来の保険料額の値上げを避けるといったことも出来ません。また、そもそも保険に入らないとか、保険にかける額を増やしたり減らしたりという自由もまったく奪われています。


雇用保険

雇用保険も同様、自分の入りたい民間の失業保険にはいるという話でなぜいけないのかということです。

まとめ

これらは、社会保険と呼ばれていますが、その本質は、すべて金融商品です。現在金融商品の販売は、説明義務の充足と、投資家の理解を踏まえた自由な投資判断というのが市場の根幹をなしています。

現状、社会保険という名の金融商品は、説明義務が満たされていないまま、投資家の自由意志に基づかない強制購入を強いている商品となっています。それでも、時代にあっていて、マーケットで購入できる一番いい商品であり、投資家の判断が期待できないような社会状況であるならその存在はむしろ望まれているともいえます。しかし、制度設計からかなりの年月がたち、経済的に損得が合わないことが主張され、制度の破綻まで毎年のように議論されている現在、もし、ここに記載されていることが真に事実なのであれば、これらの金融商品を国民に売りつけることはもはや許されず、それにぶら下がっている利権というのは厳しく糾弾される必要があると思います。


今一度、そもそも現代社会において、このような制度が必要なのか、考えてみる必要があると思います。その際、単に保護の拡大、税金の軽減だけ求めれば足りるという単純な発想を変えて、大きな目で見るのが必要じゃないでしょうか。

今の日本の国の財政はどうしようもなく行き詰っています。ぜひ大きな政府ではなく、小さな政府を志向する大胆な改革をしていく必要があると思います。誰かいないかなぁー

2015年8月20日木曜日

子供の英語教育の意味

1.子供の語学教育について

海外に暮らすと子供の英語教育・日本語教育について考えさせられることは多いです。英語は必要なのか、日本語は必要なのか、両方やらせる意味はあるのか、他の言語はどうするのかなど、悩みは尽きません。

どの程度やらせるのかについては、親のもつ語学能力と子供の能力も大いに関係すると思います。親が英語をネイティブとして話せないのに、英語を家に蔓延させることについての批判も尤もだと思います。実際、豊富な言葉で話しかけられた子供は子供の頃から豊富な語彙で話すように思います。一方で、アメリカでの移民二世をみるに、親から学ぶ語学が限定されていて、結局は家庭以外の環境が大きいのかなと思ってみたりもします。自分を振り返っても、表現の豊かさというのは親から直接学んだという印象は薄く、しゃべり口調も論調も親と同じと感じることはほとんどありません。

子供の能力という点では、そもそも2言語やるのが苦痛というのは大いにわかります。私自身学校で英語をやるのはすごく嫌いで、成績もすごく悪かったです。小さい子供の個性の差は大きいです。1つだけの言語でやっている子供のほうがその言語の語彙が多いような気にもなったり、両方をずば抜けている子を見て、どのように接したらあのようになるのか唸ってみたり。

一方で、特にヨーロッパ語圏出身の親で複数言語喋る人というのは、当然のように子供にもバイリンガル教育をしています。なので、まぁ、なんとかやれるのかなぁと思ってみたりも。

私の解決としては、子供のやる言語の1,2年先を自分が歩み続けるというのを考えています。英語については、チャプターブックなど読むようにし、少しでも学校関係の語彙を増やすようにしていました。また、今般北京語もはじめており、まだ、全然時間も取れないのですが、少しづつやっていければと思っています。


2.インターネットによる英語の優位性

私の小さい頃に比べインターネットがあるというのはとても大きいと思います。習った時に、先生の言っていることに納得がいかないというのはよくある話ですが、その際にちょっと異なる角度からの説明というのを簡単に見つけることができるというのはとても大きなことと思います。

もちろん、一般に言われるように、音源や、アプリ、スカイプなどのビデオチャットと言う意味でも大きいと思いますが、何より大きな違いは、この検索能力と思います。先生による当たり外れを自分で修正することができるこの検索能力はとても大きなもので、このインターネットの情報ベースがない世界というのは、もはや考えられないと思います。

そして、インターネットは、創世記より英語がメインで使われており、生活言語としては多言語も大いに生き残っていくと思いますが、有意な塊としての情報という意味では、英語での検索、英語での情報習得・発信が不可欠になってくると思われます。

歴史を紐解けばこれは決して例外的なことではなく、ヨーロッパではラテン語が、アジアでは日本も含め漢語が、長らく公用言語として使われてきています。

現在の風潮をみるに、プログラム言語と英語の親和性、アメリカの経済的政治的影響力、ビジネスにおける英語の汎用性、といった観点から、当分の間、影響力のある発言をしたいと思った場合、英語で行った方がダントツ有利ですし、情報を探すのもまず英語でというのが、合理的な選択となると思います。

インターネット創世記には、中心を作る必要がなくなり、これからは地方の時代と言われました。一方で、現実的には、世界的に見ても、先進国の中では中間管理職的な存在となっていた地方が没落し、中央とその他に分化していきました。日本では銀行はじめ、巨大な企業の殆どが東京に本社を持つようになりました。

同じことが言語でも起こっていると思います。日本の書籍文化は素晴らしいと思います。大書店に行くと、アメリカよりもよっぽど品揃えが充実していますし、ラインナップも偏っていない。世界に冠たるものだと思います。また、日常用語から、ビジネス、専門の研究まで、ほとんどすべてを日本語だけで補える点も、世界で数少ない、すごく充実した応用範囲のある言語だと思います。ただ、それでも、書籍の没落は止まらないでしょうし、日本語の垣根の低下も止まらないと思います。日本自体が成長基調であれば、まだ、世界が日本に合わせるというのも考えられますが、現状ではちょっとそれは考えにくいです。

ちなみに、中国語がメインになるとも思っていません。スペイン語などと同じく、巨大な日常用語としてしゃべる層を残しながらも、グローバル言語になることはないと思います。世界中で、英語で特に不満が噴出しているわけではありませんし、中国のエリートで英語ができないという人は今でもほとんどいませんし、今後はもっと減っていくと思われるからです。ネイティブ並の英語での議論ができる中国人というのは、特に珍しい存在ではないと思いますので、中国語を世界に広める労力を中国が本気で払うとは思えません。

なので、インターネットが普及すればするほど、世界の人が教育を受ければ受ける(これはそのような世の中になってほしいと思いますし、なっていっていると思います)ほど、英語が強くなると思います。

なので、他の言語の必要性とは一段異なるレベルで英語は必須だと思います。英語を勉強するのではなく、英語で考え、英語で調べ、英語で発表できる能力が必要なのだと思います。

英語のいいところは、アルファベットだけを使って表現するので、自分で読み書き、調べ物をするというレベルまで比較的幼少時に達することができます。したがって、最終的に日本語メインに育てる場合でも、小学校2年生程度まで英語中心で育てていれば、その後このスキルを子供が自分で鍛えることも無理ではないように思います。

日本は効率性を追求するのが得意なので、ぜひ小学校での英語教育を導入の暁には、全国民がこのレベルまで到達していただければと思っています。


3.教育プログラムの違い

他国の教育プログラムに触れると、日本の教育プログラムとの違いというのは、否応なく考えざるをえません。日本の教育システムは素晴らしいと思います。効率的にものを教える、落第なく上まで育て上げるという点において、なかなかこれに比肩する制度を世界に見つけるのは難しいと思います。

ただ、よくある批判ですが、落第者を作らない、画一的な考えを推奨するという点において、労働者養成用のシステムが発達したものであるのかなという印象もまた拭えません。

アメリカの教育をみると、発表、議論というところに重点をおいているように思います。良し悪しで、悪い影響も多々あると思いますが、より、強い日本人を作っていくと言う観点からは、英語で生で議論できて、しかも、言い負かされない、有用な解決を提案できるというのは、大変重要なことと思います。

日本人の場合、帰国子女でも、現地で、発表や議論において、クラスで1,2番を争うようになる人は、算数で1,2番を争う人に比べて格段に少ないと思います。単に現地の教育に放り込めばいいというものでないことは明らかで、この点は、日本語で教育する場合も意識して行っていく必要があると思います。

考える事の重要性というのは、日本で大事にされていると思います。ただ、発表しない考えはないに等しいというのが、国際社会特に批判にさらされる立場となる場合の国際社会における相手方の考え方です。ある程度日本でもこの考えが徹底される環境づくりが学校において必要になると思います。

また、知識、答えを当問題だけではなく、理屈を持って、かつ、迫力を持って相手に迫るという練習が必要と思います。現状算数の文章題で、解き方を示すというのはそれに類するものと思いますが、置かれているウェイトは必ずしも重くないです。

もっと、文章で説得的に説明する方法というのを教えてもいいと思います。自分で発見するのを待つというのもひとつの方法と思いますが、他のスキルと一緒で、教えてしまうのが早いと思いますので。

こういったプログラム、日本の学校でも提供できると思うのですが、今のところあまり聞きません。

海外の学校は学校によってやり方が全く異なるので、こういったいいところを子供の教育に取り入れたいと思う場合は、やはり海外の教育も考えざるをえないように思います。特に海外在住の場合。

3.バイリンガル教育の怖さ

バイリンガル教育をすれば、世界で活躍するエリートになれる、というのはいささか短絡的な気もします。バイリンガルのレベルも千差万別ですし、それこそ通訳や、秘書業務の方のバイリンガルレベルはものすごく高いです。

でも、一般的に世界で活躍と言う場合は、こういったサポート業務ではなく、主体的な活動をする業務を念頭に置いていることが多いと思います。そういった業務は、必ずしもバイリンガルレベルが高い人がなっているわけでもないというのも現実問題としてあると思います。

なので、語学はあくまで一スキルで、本当に学ばなければならないものは、他にたくさんあるのだと思います。世界の高学歴の人という層とある程度接したことがありますが、皆、どの言語で教育を受けていても、ある程度の教育・教養は共有しているように思います。バイリンガルに夢中になるあまり、この点が見過ごされるのであれば、それはとてもこわいことと思います。

4.バイリンガル教育の限界

バイリンガル教育をしてみたところで、文化的な背景とか、社会を2つ同時に経験するのは大変な労力が必要です。よほど本人が努力をすると言う場合をのぞいて、どちらか一方、もしかするといずれにもうまく属することができないという状況になりえます。

なので、この点でも、「バイリンガルになった、英語が話せる、イコール外人と一緒」と考えるのは短絡的なのだと思います。

本当にどちらかの文化の一員となっていくためには、やはり成長過程のいい時期にいい場所にいる必要があります。特に重要なのが、十代後半かと思います。

5.日本経済が成長していないこと

最後に、大変残念なのですが、日本経済および日本の給与は、残りの世界と比べると、この20−30年成長していません。今後成長すればいいですが、現状でも、日本の平均給与程度は、きちんと教育を受けてきちんと狙いを定めれば、ヨーロッパ・アメリカ・アジアの殆どの国で稼ぐことが可能です。アジアのほとんどの国が加わっているのは、私が就職を念頭に置いていた20年前では考えられないことです。

現状、これらの国のすべてで重宝されるのが、ネイティブ並に使える英語力です。特にアジアの現状を考えると、日本に対するヘッジという意味でも、家庭では、英語教育は欠かせないと思います。

国の栄枯盛衰は世の常です。大国と呼ばれた国が、なくなっている例、大国でなくなっている例は枚挙にいとまがありません。ただ、それに家族が巻き込まれないようにするのは親の責任ではないかなと思っています。









2015年8月7日金曜日

20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会の報告書

20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会の報告書を読みました。首相官邸ページで公開されています。

賛否あるのかもしれませんが、比較的中道な感じですね。右の議論も左の議論も引き出せそうな。短くて、読みやすいです。

興味を持たれた方は、これに基づく報道を読むのもいいですが、まずは、ぜひ、本体を読んでみて欲しいですね。特に若い方。

学校の授業でも、例えば現代史の課題として、教科書以外にこういうのを原本で読むというのがあってもいいのかもしれません。せっかく情報あふれる21世紀ですし。僕らの子供の頃は官報とか白書とか、どこに売っているのかもわからないようなものにしか、こういう議論はなかった気がします。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/pdf/report.pdf

2015年8月1日土曜日

ヤフーコメント非表示

ヤフーのコメント、あまりに批判が強くどうしたもんかな、と思ってましたが、簡単に非表示に出来たのですね。非表示はその記事だけしか非表示にできないのかと思ったら、他の記事もできて。

デフォルト非表示にしたほうが表示速度も上がっていいのでは?

と、批判してみました。。。